は個人的には野田総理の事をもっと評価していいと思っています。
最近この何代か続いた口先総理とは少し違うと思います。
出来もしないような夢物語は国民に向かっては言いませんし、
実現困難なときは難しいという言葉を付け加えています。
しかし、言うべきことはきちんと言っている。
先日の日中韓サミットの席でも、中国に対しきちんと
「尖閣はわが国固有の領土だ」と温家宝首相に言っています。
先の官総理は、日中首脳会談では尖閣と言う言葉は
一切使いませんでした。まさにへっぴり腰外交でした。
野田さんは派手さこそありませんが、
着実に政策を実現させて行こうという姿勢が見えます。
この世に、人間の中に、スーパーマンはいないのです。
今この日本の状況の中で、財政的にもやれることは限られています。
マジックではないのですから、現実をよく理解した上で、
私たち国民も政治への要望や期待を表現すべきです。
テレビのインタビューでは、「政治家がつまらない」とか、
「政治に希望が持てない」とか、そんな発言ばかりが流されますが、
これは私はマスメディアの操作が多分にあるのだろうと思います。
視聴者受けを狙えば、アンチ体制的な発言が受けが良いことは明白です。
マスコミには世論を誘導する力があるのです。
間違った誘導に、私たち自身がしっかりと見る目を持つことが
今一番求められていると思います。
今年もたくさんの企業に新入社員たちが入ってきて頑張っていることだろうと思います。
毎年、新人類ともいわれる若い世代の新入社員たちの行動には
いろいろなエピソードが生まれています。
ある会社の担当上司の方がこんな事を書いていました。
お得意先に新入社員を連れて商談に行ったそうです。
その新入社員は商談中だというのにも関わらず頻繁に携帯をチェックしていて、
最近の若い人達は携帯が手放せないとは知ってはいたものの
先方にあまりにも失礼なので注意をしたとのこと。
そして、その後上司は彼のfacebook を見て驚きました。
彼のfacebook には「ただいま00社を訪問中」とか、「00部長さんと商談中」とか、
実名を挙げお得意先の社内の様子までアップしていました。
これを見た瞬間、上司の方は血の気が引く思いがしたとのことでした。
そしてさらに、驚くべきことはその新入社員に改めて呼んで、
「そんなことはするもんじゃないよ」と注意すると、
彼は悪びれた様子もなくこう言ったそうです。
「僕のフェイスブックを見てくれたんですか?友達になりましょう。」驚き驚き!
こう言う事は会社で教育をしなければわからないというよりも
子供の頃から、しては良くない事、しても良い事の区別を
しっかり親が教育していなかったということの表れなんではないでしょうか。
今年も新入社員教育担当の方はご苦労が絶えないことでしょう。
大相撲の春場所が始まった。
本場所の興味の焦点は何と言っても把瑠都の横綱昇進がなるかどうかというところに尽きるだろう。
いつまでも外国人力士ばかりで日本人力士が上位に上がってこないのは淋しさはあるが、
こればかりは如何ともしがたい。
しかし、把瑠都には色々と素行の問題もあるという話も聞く。
1年ほど前の技量審査場所の時も遊びの場所だからとかいう発言が問題となった。
さらに部屋から外出の際には浴衣を着るのがきまりとなっているが、
短パン姿で街に出たりとか。色々と問題の多い力士ではあるようだ。
元横綱朝青龍や現在の横綱白鵬もやはり外国人ならではの問題行動や発言が多い。
このところの白鵬は勝負がついた後のダメ出しや土俵上でのマナーについて
問題視する意見も耳にするようになってきた。
本当に品格のある日本人らしい横綱の出現を望むところだが、
まだまだしばらくはそういう状況は望めそうもない。
今、大相撲中継を見ながらブログを書いていたが、
大関稀勢の里が昨日に続いて2連敗と最悪のスタートとなってしまった。
次の日本人横綱を期待するとすれば今のところ、
稀勢の里以外は見当たらないのでこれ以上黒星を重ねることのないように
なんとか大関にふさわしい星勘定で終わるよういがんばって欲しいと思う。
登山者が増えて来た昨今、自然保護や環境破壊などの問題で
登山者がバリエーションルートに入ることも躊躇われるようなご時世と
なってしまいました。
山は国有林とか自治体の土地であったり、また私有地であったりする。
私たち登山者はその土地で遊ばせていただいているわけです。
公共の土地であれば、国民はその恩恵を享受できるそうだが、
それでも自然保護の観点などからむやみに立ち入ることは禁じられていたりします。
先日登った九重でも、指山~三俣山、大曲~星生山、舞鶴尾根、それに厳密に言えば
大船山東尾根なども認められた登山コースではないと言うことになるのでしょう。
九重に限らず、阿蘇の谷はどうなの?とか、沢登りはどうなの?とか、
藪漕ぎはどうなの?とか、地図コンパス登山の勉強で
登山道以外のところに入るのはどうなの?とか・・・・
じゃあ、それがダメなら、登山者が山に入ることそのものがダメなんじゃないの?
・・・そんな疑問も湧いてきます。。。
規制が厳しくなるということは、何かあった時に管理責任を問われないように、
との姿勢も見えます。
と言う事は、例えば登山者が九重で道迷いしたりして遭難したり怪我をしたりした時に、
登山道を管理すべきお役所に対し登山道の管理責任を問われることを
心配しているのかも知れません。
以前は「怪我と弁当は自分持ち」と言う言葉があるように、
万一山で怪我したとしても、それは100%自分の責任だし、
その救助・搬出もできるだけ自分たちの山の会の責任ででやるんだ、と言う
認識が当たり前にあったように思います。
もちろん自分たちの手に負えない場合は外部に依頼するわけですが、
今のようにちょっと体調を崩したからヘリを呼ぶとか言うことはなかったはず。
何が違ってきたのか、そこを考えるとき、
山岳会の果たしてきた役割は大きかったと思います。
今は山岳会に入っていない未組織登山者が登山者全体の98%とも聞きます。
また、山岳会そのものが昔とは違い単なる仲良しクラブ的なものも多いと聞きます。
個人的にはちゃんとした山岳会であるかどうかの判断基準は、
教育的活動を体系的、継続的に行なっているかどうか、
そして万一メンバーが怪我とか遭難とかを起こした時の対応ができるように
日頃から訓練を行なっているかどうか、が大きな判断基準ではないかと思っています。
私自身まだその辺は勉強中ですから間違いもあるでしょうし、
違った考え方もあるだろうと思います。
先日地元の山のプチバリェーションルートを登りながら、そんな事を考えていました。
今日は私の大事な山の友の三回忌です。
彼が亡くなって二年が過ぎました。
その日私は山に登っていました。
彼が亡くなったのは午後3時だと聞きましたので、
多分私が山から下山した頃だったのでしょう。
自宅に戻る車の中で訃報を聞きました。
自宅に戻り、服を着替えて北九州へ走りました。
寒い日でした。
高速道路を走っているうちに雪になりました。
彼と登った雪の根子岳を思い出しました。
斎場に着き、彼を訪ねました。
2年ほど会っていなかったので、久しぶりの再会でした。
彼は思いのほか小さかったです。
あの精悍で豪快な面影はありませんでした。
彼と私がネットの世界で山の話をしていた頃、
九州の山のネットの世界には熱い何かが流れていたように思います。
それが何だったのか、それは今もあるのか、、、、
今の私にはそれはわかりません。
私の中にあったそんな熱い何かは、2年前の1月11日になくなったのかもしれません。
彼がいなくなって、1年以上が過ぎた去年。
私がとても好きだった若い人が亡くなりました。
ショックでした。
そして自分自身が山で怪我をしました。
山で怪我なんかするなよ、って
いつも偉そうに人に言っていた自分自身が山で怪我をしました。
怪我をしたとき、私が最初に思ったのは「彼」に申し訳ない、
そんな気持ちでした。
「会わせる顔がない」、そう思いました。
それからは、ハイキングにいそしむ毎日です。
12月に宮崎に行った時に古い山の仲間と話をしました。
「彼」が残した九州の登山者へのメッセージを自分たちが伝えていこう、
そんな思いを、熱く熱く語りました。
「彼」の大きさには私たちはとても太刀打ちできませんが、
自分たちに出来ることを、これからやっていこうと思います。
私と同じ思いを持っている人が同じ九州に何人かいる、
それは間違いない。
「彼」の命日に、山の安全を祈ります。